春の島を染めるオレンジ色の花
むかーし(といっても20年ほど前)、まだ淡路島が明石海峡大橋で神戸と繋がってなくて、船で往き来していた頃。船の上から見える春の淡路島は、緑色のなかにオレンジ色の花が一面に広がっていたそうです。
私が淡路島に越してきて最初の春、住んでいた家の周りが緑色の絨毯の上にオレンジ色の水玉模様のような景色に変わり、春の日差しにキラキラ輝く様にただただ感動。この太陽のように輝く大輪の花が、昭和のはじめ頃から淡路島で生産され日本各地に出荷されている「キンセンカ」だと教えてもらいました。花持ちがよいためお墓やお仏壇に供える仏花としての用途がメインで、春のお彼岸前が出荷の最盛期です。
淡路島の人にとって「キンセンカ=仏花」のイメージですが、私にとっては春の訪れを告げる太陽の花。今でも春が近づいてキンセンカが咲き始めると、ワクワクした気分になります。そして実はちょっと美味しそうだなとも思っていました。
無農薬で食用キンセンカ(カレンデュラ)を作る廣田久美さん
ある日、このキンセンカを食用ハーブとして無農薬で栽培している人がいると聞いて、「この花が食べられて、しかも体によいなんて!」と俄然興味がわきました。
その人が「廣田農園」の廣田久美さん。淡路市釜口で50年以上にわたって切り花のキンセンカを作り続けてきた、ベテランの花卉農家さんです。
観賞用の切り花は、食べるものではないので安全性は食品ほど厳しくなく、生産性や見た目を重視した農薬を使っての栽培が一般的です。「長年にわたり当たり前のように農薬を使っていた栽培方法をやめて、食用のための無農薬栽培にチャレンジするなんて、相当頭が柔らかく、アグレッシブな人に違いない!」と思って会いに行ったのですが、実際にお会いした廣田さんは、ひ孫さんがいる年齢とは思えない、肌のとてもきれいな、すごくチャーミングな女性でした。
廣田さんが、キンセンカが食用として用いられていることを知ったのは、偶然見たテレビ番組がきっかけだったそうです。ちょうどその頃、切り花栽培をする農家が減少して、廣田さん自身も先行きに不安を感じていたなかで知った「食用」というキンセンカの新しい活用方法。キンセンカが、ヨーロッパでは古くから「カレンデュラ」と呼ばれ、薬草として活用されてきたことを知り、すぐに日本で食用としてキンセンカを栽培している千葉県南房総を視察しに行ったそうです。
そこで廣田さんは、これまで1年のわずかな時期だけ出荷してきた切り花のキンセンカが、貴重な「国産のカレンデュラ」であることを知り、無農薬栽培を試みることにしました。でも、長年仏花のイメージしかなかった淡路島では、いくら効能があってもキンセンカを食用にすることに根強い抵抗感があるのも事実。そこで、食用に栽培したキンセンカを「カレンデュラ」と名付け直してイメージチェンジを図り、まずは都会に住む人に向けて発信することにしました。
私は、そんな廣田さんの活動と薬草としてのカレンデュラに興味を持ち、何度も廣田さんを訪ねるようになりました。「ほんとに手間のかかる花で大変!」と言いながらも、廣田さんがカレンデュラについて楽しそうに話をしてくださるので、こちらまで楽しくなってきちゃうのです。カレンデュラへの愛に溢れ、生き生きと語る廣田さんに会うと「応援したい!」と、私はもちろん、きっと誰もが思ってしまうに違いありません。
体験!カレンデュラの花摘みと花茶づくり
廣田さんから初めてお話を伺ったのが秋だったので、実際にカレンデュラが咲く3月まで半年待ち。無農薬で栽培すると、通常の栽培方法より育成が遅いけれど、途中からグングン成長するそう。でも、今年の冬は寒かったため、3月下旬になってもなかなか花が咲かず、ベテランの廣田さんにとっても「長年やってきて、こんなことは初めて」だったそう。
つぼみで出荷する切り花用のキンセンカ畑が次々と収穫を終えていくなか、廣田さんの畑は全く開花する気配なし。4月に入り「だいぶ咲いてきましたよ」と廣田さんから連絡を受け、すぐにアポをとり伺いました!
ご自宅に到着すると、早速目に飛び込んできたのが干すための網にぎっしり並ぶカレンデュラの大輪の花。昨晩も夜中まで作業されていたそう。
「収穫してみる?」の一言に大喜びでハサミとバケツを持って、廣田さんの運転する軽自動車の助手席に乗り込んだ私。釜口地区特有の車1台通るのがやっとの細い坂道をグネグネと、まるでジェットコースターのようにビュンビュン飛ばす廣田さん。「孫たちなんてキャッキャ大喜びよ」。ほんとにチャーミングでアグレッシブな人なのです。
廣田さんの畑がある東浦・釜口地区は淡路島で最も気候の安定した暖かい土地として知られています。畑は海の側の小高い丘の上にあって、大阪湾や遠く和歌山まで見渡せる絶好のロケーション。目の前に広がる鮮やかなオレンジ色の花畑と海とのコントラストに思わず「わーっ」と叫んでしまいました。
そして、廣田さんに花の状態や摘み方を教えてもらい、少しドキドキしながら念願の花摘み。よく見ると、カレンデュラの花はひとつひとつ違っていて、花の大きさも、花びらの数も、八重だったり、一重だったり個性的。花摘みなんていつ以来のことだろう?
収穫したらすぐに流水で洗って、まずは天日干し。数時間お日様に当ててから、フードドライヤー(乾燥機)に入れて低温でじっくり乾かします。乾燥時間は天日干しの花の状態をみて、廣田さんの職人としての勘だけが頼り。直径8cmくらいあった花が乾燥後は4cmくらいに縮んでしまうのですが、お湯を注ぐと数分で元のフレッシュな大輪の花に。このたくましさが、廣田さんが感じるカレンデュラの魅力のひとつなのでしょう。
カレンデュラで人とつながる
「このカレンデュラをなんとかしないとと思ってくれるたくさんの人に助けてもらっている」。これは廣田さんがよく口にする言葉です。
今日も畑には三重県からご両親と一緒に花摘みに来られた女性の姿が。以前に知人から廣田さんの花茶をプレゼントされ、きれいなオレンジ色の花茶に元気を貰ったことがきっかけで、毎年この時期に訪れているのだとか。他にも愛知や静岡、東京などからも、ここにしかない無農薬の食用カレンデュラを求めて訪れるそうです。
淡路島の風景をつくってきたキンセンカ(カレンデュラ)をなんとかして伝えていきたい!その思いがカレンデュラを通して伝わり、廣田さんとたくさんの人をつなげてくれる。そのことが、廣田さんが手間暇かけてカレンデュラを作り続けている原動力になっているのかな、と感じました。
この春は、淡路島の子どもたちに「地元にこんな食材があることを知ってもらいたい」と、小学生向けのごはん会でカレンデュラを使った料理が提供されることになりました。移住者が営むカフェでカレンデュラのメニューが提供されたり、エステのオイルにと関心を持ってくださる方がいたりと、都会の人たちがカレンデュラの価値を認めてくれたことで、地元淡路島でも少しずつカレンデュラとしての活用が始まろうとしています。
堺野菜穂子
神奈川県横浜市出身。兵庫県宝塚市を経て、5年前から淡路市在住。
ノマド村のショップ「キクハナ 」店主。暮らしと働くを近くに!をテーマにまずは自分の暮らしを実践中。